社会心理学にて・・・ |
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| ハンナ・アーレントによれば、アリストテレスの「社会的動物」という言葉は、アリストテレスの本がギリシャ語からラテン語に訳されるときに誤解された言葉であるという。 アーレントの考えでは「社会的動物」ではなくて、「政治的動物」、「言語を発することができる存在」であるという。
そもそも、言葉の意味というのは曖昧なんだよね。 訳された言葉っていうのは、その訳す人の考えによって変わってきてしまうし、語源である言葉とその文化からその言葉を探ろうにも、それが科学ではなくて人間の作ったものであるうちは、想像していくしないんだから。
W.Jeams 自己理論 ウィリアム・ジェームスは自己を「I」と「me」二つに区別した。 I 主我、純粋我。知るものとしての自己。意識(思考の流れであり、実体ではなくプロセスである。 意識の中では、さまざまな心理状態が相継起し、常に変化し続けている。それを連続したものと感じ、またその中の一部の対象に選択的に注意を向ける働きをするのが「意識」である。) me 客我、経験的自己。知られるものとしての自己「人が自分のものと呼ぶことのできるすべての総和」。この「me」はさらに、身体的・社会的・精神的の3つに分別する。
Cooly 理論 自己は社会的なものであり、自分の自己が他者の心の中にどのように見えているのかを想像して抱かれる観念ないし観念体系である。 クーリィはこれを「鏡映的自己」と呼ぶ。
私は特に、W.Jeams の意識の定義に感動したなぁ。 正直よく、意識の流れっていうものに気づいたのか、凄いと思う。感覚的に(内観的に)そんな気がしてはいたけど、ここまでとは、って感じ。 私はこの理論には大賛成だね。
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4月21日(木)23:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | Diary | 管理
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