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~ vanishing point ~
 

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After 195...

一度連休中に実家に戻る機会があった。
兄から聞いた話によると、祖母が後長くないらしい。
私は薄情者である。
人よりも、金を選ぶ。
母は私に、アルバイトを休んでくるように言った。
しかし、私は断りたかった。
実家に帰るにも金はかかるのだから、せめてその日ぐらいは働いておきたかった。
そして私は連絡より1日ひをおいて、実家に帰ったのである。
ホームを降りて迎えに来ていた、母に会うと、妙に私はうきうきした。
反対に母は泣いてしまった。
そのときは母がうれし泣きしたのだと思ったものだが、後に聞いてみたらそれは違うということだった。
私のあまりの格好に、私が一度消えたときのことを思い出して悲しくなったのだという。
わたしはそれを聞いて、ひどく情けなく思ったと同時に、こんな私でも母にトラウマを負わせるほど、価値があったことを再確認して、うれしく思ってしまった。
母はよく私に尽くしてくれた、短い間だったけれど私と離れていた時間を取り戻すように。
私は母の優しさに泣きそうになった。
悲しいのでないけれど、私が自らどれほど大きなものを切り捨てたのか実感してしまったからだ。
実家は、家具の配置が少し変わっていた。
しかしその少しでも、私のしらない元の私の部屋をみて、また悲しいのではないけれど、望郷のような思いを感じた。
兄は変わっていなかった。
いつものように、前をみて、静かに目標をうちたてそれに向かって前進する姿はまぶしかった。
それに対して私は変わったのだろうか?
町も大きな道路ができたり、駅前が栄えていたり、知っている店がつぶれていたりと、やはりこちらも変容していた。
別にそこに何の感情も浮かばなかった。
そして、帰ってきた要因である、祖母にあうことにした。
最後になるかもしれない、おそらく最後になるのだろう、私と祖母の会合はよそよそしい雰囲気で始まった。
祖母の家に行けば、寝たきりの祖母の看病をする父の姉-おばさんがいて、知らないおじさんがいた。
私は小さなころにそのおじさんにあった覚えはないのだが、その人は私を覚えていた。
「大きくなった」といった。
別に何も感じなかった。
その人に言われたことも、いざ死にかけ、頬の扱けた祖母に何の感慨も起こらなかった。
近くにいなかったからだろうか、それに最近数年はまともに話したこともない。
おばさんが私に、お菓子を祖母に食べさせてやりなさいといった。
私はその行為自体に、少し恥ずかしいと思ったと同時に、何でそんなことしなければならないのか、と思った。
慣れたあなたがやれば、それですんだはずだった。
私は歯の無い祖母の口にちょうど小鳥にえさをやるように、渡した。
何の感慨も浮かばなかった。
もしかしたら今ここで死んでしまっても、私はショックを受けないんじゃないかと思うほど、私は冷静だった。
十分に顔をみて、きっと祖母が死んでも顔を忘れないくらいに覚えた。
私は薄情者である。
結局私がもっとも感情に訴えかけられたのは、自分が涙を流しそうになったその一点だけだったのだから、結局は自分自身のことだけだった。
私は彼女が消えることになったら、私はその検討のためにだけきたのだった。
しかし結果は、何も起こらないことと同義であり、逆に私は母のためにも―



5月13日(金)00:40 | トラックバック(38) | コメント(13) | Count Down | 管理

After 203...

再認識させられた。
やはり私は友といるより、独りがよい。

私は自らの能力を低いと思う。
自分から見ても、傍からも、実質能力が低いように見えるのかもしれない。
しかし私はおそらく、能力が高いものと同じほど、ものを考えている。
ただそれが、役にたっていないため、傍からは見えないだけなのだ。
私の能力が高いというものの価値観は、どれだけひとつのことを考えていられるか、で定義している。
私は自身の脳がまだ発達していない、あるいは発達できなかったのではないかと推測している。
私の脳はまだ子供の脳であって、頭の切り替えがへたなだけなのでないかと思う。
そしてその点において、私は子供であり、能力が低いのだ。



5月3日(火)00:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | Count Down | 管理

After 204...

私は友と喧嘩をした。
根本的な理由はわかっている、価値観の違いがそうさせたのだ。
彼は他人と一緒にいることを、恐らく人並みに好んでいるように思う。
しかし、私は違うのだ。
私は他人といるより、むしろ自分ひとりでいることを、彼よりよく好んでいたのだ。
喧嘩の理由はこうだ。
Golden.Week は私と彼には1週間ほど暇があった。
彼は3日ほど続けて私に会おうといった。
私はそれに対して、個人的な時間を作りたいから、と断り、2日なら、と答えた。
しかし彼は少ないと感じたらしい、不機嫌を露にした。
彼は友達より個人を選ぶのか!と言った。。
私は心の中で「あたりまえなことを言うな」と思った。
しかし私は、それを態度には出せなかった。
2人とも妥協は、しなかった。
理由も無く断る曖昧な態度な私に、次第に彼はイラつき始め、何度も舌打ちを打った。
私はそれに耐えられなくなった。
彼から見た私、即ち客我は、良き人でありたいと思った。
だから私は妥協案を考えた、と同時に、彼と話している途中、友とは何かと考えた。
友とはなんだろう?
私はそれを、「対等」な立場の人間同士の絆であると定義している。
しかし私の現状はどうだ。
私は私に向かってくる他人のことを拒絶することができない。
心において、他人に嫌われることを恐れる条件付けがなされていて、いい人を演じたくなってしまう。
そうして付き合うにつれ、友は私に重荷を背負うことを請求する(私をいい人と思い込むためだ)。
最初私はいい人を演ずるべく、承認するが、重荷の大きさを相手はどんどんと重たくしてくる。
私はきっと断りを入れる、しかし、それが遅すぎる。
私と友の関係はいわば主従のような関係になってしまう。
もはやそれは「対等」と呼べるものでは無い。
中学の頃から代わるがわるそんな対象がいたような気がする。
そして今回喧嘩をした相手もその対象であり、生涯に渡ってつながるかもしれないそれだった。
私は彼といると苦痛を感じる。
私の客我が私に良き人であれと言い、自我はどうして自分を隠してまで付き合わねばならないのか、という。
そこで勝ちを収めるのは私の場合大抵、客我であって、人に反論する言葉を言えなくするのである。
そして私は、彼に本心を語ることをせず、ただ黙って彼に従うことを選ぶのだ。
私はその時々に流されやすい人間だ。
しかしその理由において、他者とは根本的に私は違う。
ただ考えが無いためではなく、反論する回路を持ちえるが、それを強く鎖で結び、封印しているためがゆえ、いい人を演じたくなる衝動を抑えられないのであるで。
私は強く条件付けられたそれのために、「対等」という形を見失いがちなのだ。
結局私は Golden.Week に、始まりの3日間つきあうことで妥協した。
そして深く、絶望した。



4月25日(月)16:17 | トラックバック(0) | コメント(50) | Count Down | 管理

自己発見レポート

先日受けた、テストの結果が返ってきた。
テストといっても、今回のものは今だかつて受けたことが無い珍しいもので、国語・数学・英語が一度に混ざったものと、心理テストのようなものがあった。
あの時は事前に時間足りないこと(通りすがりの人から盗み聞いた)を知ってたにもかかわらず、国数英のほうはぜんぜん時間足りなくて焦ったなぁ。やはり私は頭の回転が鈍いらしい。
まぁその教訓を生かして心理テストのほうは何とか間に合わせたけど、心理テストってあんまり深く考えないほうがいいものなのかな?時間無かったから図らずもそうなったけど・・・。
さて、家に着いて結果表を早速開いてみると、一目見た瞬間成績表みたいな、ドキドキの高揚感みたいのがムクムクと盛り上がって楽しくなってきた。
内容はグラフになっていて。
「あなたの性格の強みを知ろう!」だとか
「あなたの職業への興味を知ろう!」とかに分類されていた。
こんなおもしろい結果が返るんなら、完ぺき主義すっごく入ってる私としては、もっとしっかり集中してやっておけばよかった~と思ってしまう。
今になって検査中の私の曖昧さを後悔しても遅いけど、さ。
とりあえず、前置きはおしまいにして結果入ります。
「性格の傾向」
内向対外向。内向→高高。
行動対熟慮。熟慮→中よりちょっと高。
頑固対柔軟。頑固→高高。
コメント
─ 「全体をまとめて一口で表現すれば、誠実で比較的慎重な温厚派といえます。」 ―
「能力」(国数英の結果)5段階評価で
英語運用→2.75
日本語理解→4.25
判断推理→3.75
合計→3.5
他にもあるけど、量が多いんで添削します。
「性格の傾向」は完璧に予想通りな結果になりすぎて、ちょっと驚き。超内向的・超頑固・ちょっと行動的、なのはいいとして。コメントがもう美化しすぎって感じで笑いそうになった。
誠実って何?って感じ?結局は外面だけでしか判断してないんだよ。やりたくない仕事が回ってきても、それを放り投げてしまうほどの度胸が無くて、結局それを片付けたら。私は誠実だっていうレッテル張るしかないっていうのはわかるんだけどねぇ。
それはさておき、「能力」の合計が一応平均上回って安心したぁ。時間間に合わなかったから、もっと低いかと思ってたけど、なんとかなるもんだぁ。まぁ別に「能力」をこれだけで測るっていうこと自体の疑問はさておいて、英語はまぁ、時間が無かったからってことで・・・。
あぁ、私はこの結果をみて何を期待しているんだろう?



4月23日(土)02:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | Diary | 管理

After 213...

兄の言葉は私に希望と絶望を与えた。
兄は私に頑張れと言う。
そうまでして私を追い詰めたいのかと思った。
思ってしまった。
ひとしきり、絶望していたら、些細なことで兄が「おまえには文章表現力がある」と褒めた。
私は自分に、そんなものが露ほども無いことを知っている。
それが、兄のパトスであることも知っている。
しかし、嬉しかった。
兄はきっと私のために、「もっと頑張れ」といってくれた。
兄の言葉の意味と、その言葉の優しさがそれでわかった。



4月23日(土)01:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | Count Down | 管理

心理学の基礎にて・・・

y=f(x) ← 反応 = f( 刺激 )
判断時間( 秒 ) = 60/1 * 角度
脳神経 1000 億個

...なるほど、これは A.Iで使える。
y = f(x) が刺激的だね。



4月21日(木)23:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | Diary | 管理

社会心理学にて・・・

ハンナ・アーレントによれば、アリストテレスの「社会的動物」という言葉は、アリストテレスの本がギリシャ語からラテン語に訳されるときに誤解された言葉であるという。
アーレントの考えでは「社会的動物」ではなくて、「政治的動物」、「言語を発することができる存在」であるという。

そもそも、言葉の意味というのは曖昧なんだよね。
訳された言葉っていうのは、その訳す人の考えによって変わってきてしまうし、語源である言葉とその文化からその言葉を探ろうにも、それが科学ではなくて人間の作ったものであるうちは、想像していくしないんだから。

W.Jeams 自己理論
ウィリアム・ジェームスは自己を「I」と「me」二つに区別した。
I 主我、純粋我。知るものとしての自己。意識(思考の流れであり、実体ではなくプロセスである。
意識の中では、さまざまな心理状態が相継起し、常に変化し続けている。それを連続したものと感じ、またその中の一部の対象に選択的に注意を向ける働きをするのが「意識」である。)
me 客我、経験的自己。知られるものとしての自己「人が自分のものと呼ぶことのできるすべての総和」。この「me」はさらに、身体的・社会的・精神的の3つに分別する。

Cooly 理論
自己は社会的なものであり、自分の自己が他者の心の中にどのように見えているのかを想像して抱かれる観念ないし観念体系である。
クーリィはこれを「鏡映的自己」と呼ぶ。

私は特に、W.Jeams の意識の定義に感動したなぁ。
正直よく、意識の流れっていうものに気づいたのか、凄いと思う。感覚的に(内観的に)そんな気がしてはいたけど、ここまでとは、って感じ。
私はこの理論には大賛成だね。



4月21日(木)23:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | Diary | 管理

Today 214.

Count Down Start...


4月21日(木)23:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | Count Down | 管理


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